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中国の根拠なき領有権主張を突き崩す/ジャーナリスト・門田隆将氏、新刊「尖閣1945」

政治

尖閣戦時遭難事件―。地元を含め国内でほとんど知られていない、先の大戦末期に起きた事件をテーマとするノンフィクション「尖閣1945」(産経新聞出版)が刊行され、話題を呼んでいる。現在3刷と売れ行きも好調だ。著者でジャーナリストの門田隆将さんは「尖閣諸島の魚釣島には当時遭難した日本人の骨が埋まっており、今も帰還を待っている。本書を通じて日本の領土である尖閣を身近に感じるとともに、戦後しばらくして急に領有権を主張し始めた中国のおかしさにも気付いてほしい」と話している。

日本人が知るべき史実

尖閣戦時遭難事件 昭和20年7月、石垣島から台湾に向け航行中の疎開船2隻が米軍機の攻撃を受けて1隻は沈没、もう1隻は航行不能に陥り魚釣島に漂着。救援の伝達を託された若者有志による決死隊が約170キロ離れた石垣島に小舟を漕いでたどり着き、魚釣島の生存者全員が救助された。事件では食糧難で衰弱して亡くなるなど80人余りが犠牲になったとされる

産経新聞

本書の中で、石垣島での取材中、多くの人に「尖閣戦時遭難事件を知っているか」と質問したが、知っている人はほぼ皆無だったと書いている。そもそも、この事件を知ったきっかけは「『太平洋戦争 最後の証言』シリーズで資料を調べていたときに知ったから、少なくとも10年以上前になる。他にも本を書いており、現地での取材が長期にわたることも想定されたので、なかなか取材に乗り出せなかった」

産経新聞

尖閣諸島周辺では、中国公船による領海侵入が常態化している

「尖閣諸島に関するニュースが日々伝えられるようになり、本書執筆中の今年9月には中国が尖閣の日本のEEZ(排他的経済水域)内に新たに海上ブイを設置したことも明らかになった。尖閣諸島の周辺海域は日本にとって重要であり、遭難事件の史実も日本人として知っておかなければならないこと。これ以上待つと、中国の思い通りになってしまうという危機感が募り、取材に本腰を入れた」

産経新聞

日本人のすばらしさが凝縮

《魚釣島にはかつてアホウドリの羽毛採取や鰹節製造に従事する人々が暮らす村があり、その名残で遭難事件当時も生活に必要な真水があった。しかし、食糧はほとんどなく、漂着者は互いに協力し合って1カ月以上にわたり木の実を食べるなどして過酷なサバイバルを経験した。本書には名もなき人々がそれぞれの使命感に突き動かされて必死に活動する場面が数多い。決死隊の若者たちが米軍機に見つからないよう命からがらになって石垣島に到着するくだりは胸を打つ》

「尖閣が日本の領土であることは揺るぎないものであるが、日本人はその理由を知らない。尖閣戦時遭難事件は先人たちの勇気と気迫、敢闘精神、優しさなど日本人のすばらしい点が凝縮している事件であり、多くの人に知ってほしい」

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日本人の骨が帰還を待っている

「ノンフィクションというのは、これを書きたいという場面がないと書けない。今回は、決死隊の若者たちが大海原に漕ぎ出る際、縁起物の真っ赤なカリー(長寿のお祝いのときに着させられる打ち掛け)をビリッビリッと引き裂いて鉢巻き用の布にして手渡す女性のことが資料に出てきて、『これ、誰なの』というところから一気に火がついた。その女性の消息がわかならいと感動が削がれる。だから探し出せるかどうかが勝負となったが、長い間わからず作品の完成も一時暗礁に乗り上げていた。しかし、今年3月、ある新聞記者に助けられて、女性の遺族にたどりついた」

その女性は、石垣島で写真館を実質的にひとりで切りまわしていた当時歳の花木芳さんだった。自分の子供たちを助けてもらうために決死隊の若者たちを荒波の中に送り出すことに限りない感謝と、若者たちの母親への申し訳なさが芳さんを行動に駆り立てた。本書には、赤いカリーの着物姿の当時97歳の芳さんが家族や親戚に囲まれる集合写真も添えられている。その後、芳さんは98歳で亡くなる》

「写真で芳さんの目を見た瞬間、『すごいな』と思った。まさに私が探し求めていた人だった。この人なら縁起物のカリーを破いただろうな、と。でも、そこから今回のノンフィクションが始まった」

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本書の後半では、魚釣島に埋葬された漂着者の遺骨を戦後になって回収しに行く人々の話も出て来る

「私が最も言いたいことは、日本人の骨が今もあの島で帰還を待っているということです。日本人の思いの詰まっている固有の領土、そこに日本人の骨が埋まっており、遺族はそれに強い思いを持っているということなんですよ。大半の遺族は回収できないまま今にいたっている。そういう島が日本領に編入された1895(明治28)年以降、領有したことも(領有権を)主張したこともなかった中国が、国連機関による調査で東シナ海に石油埋蔵の可能性があると指摘された後の1970年代になって急に領有権の主張を始めたことのおかしさを国民に知ってほしい。本書で書いた尖閣戦時遭難事件を知れば、尖閣への思いがだんだん強くなってくると思う」

《中国側による領有権の主張の不当性については、第六章「尖閣はなぜ日本の領土なのか」で詳しく説明している》

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尖閣諸島

南西諸島西端に位置する魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島などからなる島々の総称。かてつ鰹節工場があり日本人が住んだこともあるが、現在は無人島。行政的には沖縄県石垣島の一部。1895年1月、閣議決定により尖閣諸島を沖縄県に編入。1969年5月、国連アジア極東経済委員会の沿岸鉱物資源調査報告で、東シナ海に石油埋蔵の可能性ありと指摘。年に中国と台湾が初めて公式に「領有権」を主張。日本政府は2012年9月、尖閣諸島を国有化した。

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尖閣戦時遭難事件

尖閣戦時遭難事件は、昭和20年(1945年)7月に発生した、第二次世界大戦末期の悲劇的な出来事です。詳細について説明します

戦時中の日本

1945年の時点で、太平洋戦争(第二次世界大戦の一部)は終戦間近で、日本は連合国軍、特にアメリカ軍の激しい攻撃にさらされていました。

疎開船の出航

尖閣戦時遭難事件は、石垣島から台湾に向かって航行していた疎開船2隻がアメリカ軍機の攻撃を受けたことから始まります。

攻撃と漂着

攻撃により1隻は沈没し、もう1隻は航行不能になりました。航行不能になった船は、尖閣諸島の一つ、魚釣島(中国名:釣魚島)に漂着しました。

救助活動

魚釣島に漂着した生存者は、約170キロメートル離れた石垣島にいる人々に救援を求めるため、若者有志による決死隊が小舟で石垣島に向かいました。この若者たちの勇敢な行動により、魚釣島の生存者全員の救出が可能となりました。

犠牲者

しかし、食糧難や衰弱により、約80人以上がこの事件で命を落としたとされています。

歴史的背景

この事件は、太平洋戦争末期の日本の困難な状況を象徴するものであり、戦争の悲惨さと無常を示しています。

尖閣諸島における出来事

尖閣諸島は現在、日本、中国、台湾が領有権を主張しており、この地域は政治的な緊張が続いています。しかし、この事件は領有権争いとは別の側面を示し、戦争の人間的な影響に光を当てています。

現代への影響

  • 記憶と教訓:尖閣戦時遭難事件は、戦争の犠牲者を悼み、平和の重要性を再認識する機会を提供します。
  • 歴史教育:このような出来事は、戦争の歴史を学ぶ上で重要な教材となり、将来の世代に平和の価値を伝えるための重要な資料です。

この事件は、太平洋戦争の終戦間際の混乱と悲劇を反映しており、日本の近現代史における重要なエピソードの一つと言えます。

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